本当に必要なものと絶対に不必要なもの

考えてみれば、空気とか水とか光とか生存に絶対必要なもの、重要なものはみな「タダ」です。人間は「火」の利用を発明し生存はより有利になったけれど同時に「武器」を発明し殺戮は大幅にエスカレートしました。そして電気を発明しまたしても武器も進化しました。そして今度は原子力が核兵器として実用化され不幸にも広島、長崎に投下されました。核兵器が大量に保有される現代においてもし戦争で双方が使用すれば人類そのものが滅亡する事が分かっているのに廃絶される事もなく未来に暗雲を投げかけています。しかも原子力は原発というまやかしのエネルギーを生みました。まやかしの訳は原発システムそのものが不完全で、原発を稼働させる限り、作業員などの被ばくが避けられないこと、事故が起こらないなどという事が絶対にないこと、そして核廃棄物の安全な処理さえ確保できないからです。

いったん事故が起これば放射能汚染という人間が対処できない事態を長きにわたって引き起こす事もチェルノブイリや福島の事故が厳然と物語っています。原発が動く限り、もっと大きな事故が起こらないとは誰も言えないはずです。日本を見ても世界を見てもたった数十年の間に危うい事故は数多く引き起こされています。日本のマスコミは非常に消極的にしか報道しないけれど、それもまた厳然たる事実です。地震などの自然災害がなくとも原発事故は起こりうると言うのに、世界屈指の地震多発国である日本で原発が安全などというのは気が狂っているとしか思えません。原発事故だけは他の事故とその性質が全く違います。それは放射能汚染が未来へと長く続くからです。

自然環境や人体への影響は徐々に解明されつつありますが、内部被ばくの影響、遺伝子や細胞に対する影響についてはまだ未解明の部分が多く、被ばくに関してはできる限り浴びないことしか今はありません。発病や発症に至る時間軸があまりにも長く、研究途上だからです。何ベクレルなら安全とか何シーベルトなら心配ないなどとは決めれないし言えないはずです。それはいたしかたのない最低限の目安でしかありません。科学がこれだけ進んで、しかも人類をずっと守ってきた最も重要な要素である空気も水も光もあるのだから、火力、水力で補いながら自然エネルギーの研究開発、そして実用化に向けて官民全力を投じなければならないのは文明国としての義務だと思うのです。そして全原発のすみやかな廃炉もまた国家としての責務だと思うのです。

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